「べき論」を唱える人・唱えられる人の対処法!最悪なのは〇〇への「べき」です

f:id:shuyax:20171019232839j:plain

Chaca-logへようこそ

本日は「べき論」について記事にしたいと思っているのですが、あまり聞きなれない「べき論」という言葉が辞書にも載っている事に驚きました。

まずはその件からです。

《「べき」は助動詞「べし」の連体形》義務を果たすこと、理想を実現しなければならないこと等を強く主張する論調。「そうするべき」「こうあるべき」という言い回しから。

引用元:goo国語辞書

では助動詞である「べし」とは

1.当然の意を表す。・・・して当然だ。・・・のはずだ。

2.適当・妥当の意を表す。・・・するのが適当だ。・・・するのがよい。

3.可能の意を表す。・・・できるはずだ。・・・できるだろう。

4.(終止形で)勧誘・命令の意を表す。・・・してはどうか。・・・せよ。

5.義務の意を表す。・・・しなければならない。

6.推量・予想の意を表す。・・・だろう。・・・しそうだ。

7.決意や意志を表す。

引用元: goo国語辞書

なるほど、少し理解できた感があります。

僕が思っていたものとそれ程変わらないですね。

普段なにげなく使っている「べき」僕なんて毎日のように「べき」を使っているような気がします。

「おっちゃん・おっさん」といわれる年代なので普段から多用しているのかもしれないですね。

「べきを唱える人」

「唱えられる側の人」

「自分自身へのべき」

「べき」にも、いろいろとあります。

「べき」を唱える側の人

f:id:shuyax:20171019232132j:plain

先述していますが、ちょうど僕くらいの年代の人が多いように見受けられます。

部下を捕まえて

「・・・すべきだ」

「・・・であるべきだ」

本当に良く使ってしまいます。

自分自身の思考・意見・ルールなど僕が言っていることは 100%正しいんだ

だから「そうしろ・そうやれ」ということなんですね。

事実、僕もそう思いながら「べき」という言葉を使用しています。

「『べき』は押し付けだ」とよく言われますが、この表現は押し付けになるのでしょうか。

携わっている職業によっても違うかもしれませんが、僕自身の「べき」は自分で経験し導き出した事からなので「絶対」と言っても良いほどの自信を持っています

誰が何と言おうが「僕の言っているは間違いない

経験という裏付けがあるわけですから「そうすべき」なんですよね。

そして、ちょっとした優越感も・・・

これが「べき」を唱える人の心理なのかもしれません。

「べき」を唱えられる側の人

僕自身は唱える側が多いのですが、やはり唱えられる側に回ると少なからず違和感を感じます。

例えば「君はもっと部下のことを考えて業務を遂行するべきだぞ」と言われた時の心境は。

「言われなくても、分かってるちゅうねん」

「いちいちしょうもないこと言うなよ」

例えの言葉使いが悪いのですがこのように思っている事は間違いありません。

果たして純粋に「分かりました」と言える人はいるのでしょうか。口先では言えたとしても、きっと内心は違うのでしょうね。

その人にはその人なりの考えがあり、導き出すための経験もありますから。

「べき」とは決して気持ちの良いものではないのですね。

「べき」から生まれるものはあるのだろうか

確実に存在します。

しかもそれは必ずしも良い結果につながるものではないものです。

僕は「アンガー」・・・つまりは怒りだと思います。

「べき」を唱える側・・・「べき、べき」と他者に唱えたところで、思うような行動を取ってもらえなければ腹立たしく思ってしまいます。また、その都度同じことを言ってしまうというサイクルになるのでストレスが募りますね。

「べき」を唱えられる側・・・再三「べき、べき」と唱えられることは、これまたストレスが蓄積されていきます。良かれと思う自分の考えを変え従う結果になりうるので、ストレスはやがて怒りとなり衝突し人間関係にも亀裂が入ってしまうという最悪の結果を招くリスクもあります。

どちらにも共通しているものは「ストレス」。そしてこの「ストレス」はやがては怒りへと変貌する訳なのです。

「べき」の多用は怒りのトリガーでしかないのではないでしょうか。

最悪の「べき」を考えてみた

f:id:shuyax:20171019231812j:plain

他者への「べき」他者からの「べき」はまだ心の持ちようでどうにかなるかもしれません。

「歳をとると丸くなる」というように、社会での経験・環境・人間関係などにより何ごとに対しても自分自身の許容範囲といったものが増してくると思います。この事が「歳を重ねる」という事ではないのでしょうか。

僕も30代のころ許せなかったことが50代の今では気にする事もなくなったということは多々ありますよ。

もっともだめな「べき」は手の打ちようもなくどうすることもできない。その最悪の「べき」は「自分自身への『べき』」これに尽きます。

この「べき」は厄介ですよ。

心の弱い人でしたら、壊れてしまうのではないでしょうか。

自分で自分に課せた「ルール、義務」

自分で決めたのだから破るわけにはいかないです。

誰しも「僕にはできる」と思って決めたのですから「しんどいから」「都合がつかないから」「辛いから」などといった理由では簡単に破ることなどできません。

本当に「しんどくても」「時間がなくても」妥協できない、なんとしてもやらなければ・・・自分で決めたのだから・・・

とても真面目で責任感が強く、自分に厳しい人ほどそう思うはずです。「絶対にするべきだ」と。

「遂行できなかった」

「もうちょっとだったのに」

「無理だった・・・」

一度ならまだしも、時として二度、三度と重なってくると負の感情が少しずつ芽生え始め

「僕はダメな奴」

「自分で決めたことも守れない」

「ごめんなさい、もう疲れた・・・」

自己嫌悪、自暴自棄、ネガティブシンキング、まさに負のスパイラルです。

なんとも厄介な「べき」です。

まとめ/どうすればいいのだろう

f:id:shuyax:20171019232047j:plain

お互いが「怒りのトリガー」を引かないためには、どのような策があるのでしょうね。

「べき」を唱える側の人

おおよそ僕の年代の方に多いのだと思います。

 

仕事は見て覚える。考える前に行動しろ。などどいった結構スパルタ的な時代の人間に。

では「べき」を唱える側への対処法は何なのでしょう。

「自分自身の見聞を広める」ことが良いのではないでしょうか。

自分自身の見聞が狭いことが原因なのだから、広くするしかないのです。

真正面だけではなく、横から、後ろから、斜めから、物の見方は千差万別です。

価値観にしてもそうですよね。

人の価値観も100人いるのなら100個の価値観があります。

僕とあなたの価値観が違うことは当たり前なのですから。

いろいろなものの考え方、捉え方、人それぞれ違うから「個性」なんですよね。

視野の狭い自分を許容できたのなら、広くしようとする努力を惜しみたいとは思いません。

それは、自分自身のためになるのですから。

では、今の「自分」はまだまだ発展途上だと認めてしまえば良いわけですね。

分かっているのだけど「プライド」が邪魔をするためそうできないことも事実です。

ですが「一円」にもならない「プライド」なんて捨てちゃいましょう。

必ずしも自分が正しいとは限らないのですから傾聴するスタンスから始めましょう。

「べき」を唱えられる側の人

絶対的ルールが存在する「べき」は守りましょう。

例えば「信号はちゃんと守るべきだ」・・・当たり前ですね。

自分の中で分けるといった事はどうでしょう。

「これは必要なこと」

「ま~ま~大切かな」

「ど~でもいいこと」

と自分で決めましょう。

要らないことは、右から左へ聞き流し真面目にに聞いてるような素振りで良いじゃないですか。

「唱える側の言う『べき』は100%正しい」と先述しましたが、経験の裏付けだけでそこに科学的根拠はありません。経験で得るものは時代と共に変化する事も多々ありますから。今までがそうであっただけです。

例えば残業。

「僕の時代は仕事の区切りが着くまでは何時になろうと帰らずにやったものです」

勿論そこに残業代は発生しませんしサービス残業などといった言葉もありませんでした。僕の仕事の仕方が遅いから会社に残って仕事をしなければならないといった理由です。同じような事をしていても就業時間内で終わらせる同僚もいるのですから。

この時代に「お前たちもそのくらいの事はするべきだ」と唱えられたとしたらどうでしょう。

就労規則も厳しく守られる社会になった今、上記のような事が通用するでしょうか。

いえいえ、もう時代が違いますから。僕なら労働基準局に走りますよ。

我慢出来ないのでしたら反論するのも有りです。

ですが、そのときは理詰めで論破するくらいでないと年寄りにはかないませんよ

若者の特権は勢いです。

反論してくるほどの武骨な輩は一目されると思いますけどね。

自分への「べき」

性格にもよると思うのですが

「決めたことは守る」の逆説で

「決めたことは破るためにある」

約束も然り。

このくらいの腹積もりで良いんじゃないですか。

少し極端ですが、世の中の全ての人が決まりを守れていれば「犯罪」はない訳ですから。

疲れたら休めば良いのです。

気分が乗らなければしなければ良いのです。

目標・・・

目標を達成できないからといってふさぎ込まないで下さい。

思っていることを現実にするためには「目標設定」は不可欠だと思いますし、数値化することでより早く達成できるようになるとも思います。

ですが、あくまでも目標なのだから・・・

少々の遅延が発生したとしても、思いがあるのならばそこにはたどり着けます。

一度ダメだったからと、いや、二度三度ダメだったからと諦めてはいけないです。

今までしてきた事、努力は間違いなく存在しているのですから、ゼロになることなんてありません。

何もかもがなくなる事なんてありませんよ。

「何かをしようと思い、始めた時がベストなタイミング」だと僕は思っています。

そこに年齢だとか経験だとか一回やめているとか、そんなことはどうでも良いことです。

例えば、1年間毎日ブログを継続したけれど思ったようにアクセス数が伸びないし、書くのも面倒だし徐々にブログから離れて行きいつの間にかやめてしまった。

このような話しはあると思うのですが。

でも3年後、やっぱりブログをやりたくてまた始めました。

OKです。3年前に経験したことは無にはならずに糧となっているはずです。

その 3年後のブログを始めたその日がその人にとってベストな日。

僕は常にそのように考えています。

だから良いんですよ。

休憩しても、一度離れてしまっても・・・

今までしてきたことは、そこにあるのですから。

f:id:shuyax:20171019232231j:plain

Chacaでした・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です